輸液(点滴)について
輸液の歴史
1. 起源
輸液の起原は、17世紀になって、Willium Harveyが「血液の循環の原理」(1628年)を発見したことが端緒とされ、イギリスのSir Christopher Wrenが1658年にガチョウの羽と豚の膀胱を用いて溶解液をイヌの血管内に投与したのが始まりとされています。
電解質輸液は、1832年にイギリスのLattaが、塩化ナトリウム0.5%と炭酸水素ナトリウム0.2%を含む製剤をコレラの治療に投与したのが始まりで、その後、1883年にRingerが塩化ナトリウムの他にカルシウムやカリウムを配合したリンゲル液を開発しました。
輸液療法の効果が印象づけられたのは1920年代で、小児科医のMarriottらが小児下痢症に輸液製剤を投与し、死亡率をそれまでの90%から10%にまで低下させたことにより、輸液療法が注目されるようになりました。
2. 発展
1932年には、Hartmannが乳酸ナトリウムを用いた乳酸リンゲル液を開発しました。乳酸リンゲル液は、大量失血時の体液補給やアシドーシス補正等が可能であるため、なくてはならない基礎的な製剤として現在も広く使われています。
日本では1960年代に、1号液(開始液)、2号液(脱水補給液)、3号液(維持液)、4号液(術後回復液)のシリーズが発売され、現在でも電解質輸液製剤として広く使用されています。これらは、塩化ナトリウムとブドウ糖の配合割合を変えることにより、塩化ナトリウムの割合が多い1号液は電解質の補給効果が大きく、逆にブドウ糖の割合が多くなるにつれて、水分補給効果が大きくなっています。
輸液製剤は、栄養輸液製剤としても発展してきました。輸液製剤にブドウ糖を配合することについては、1930年に既に行われていましたが、ブドウ糖のみでは栄養輸液には成り得ませんでした。蛋白質(アミノ酸)、脂質といった3大栄養素を含めた製剤の開発が必要だったのです。
アミノ酸輸液は、アミノ酸の種類が多く、適正組成を決定することは容易ではありませんでしたが、個々のアミノ酸の精製が可能となった1950年ころから本格的な検討が行われ、1946年HoweのVuj-N処方、1965年FAO/WHO基準による処方、1980年TEO基準による処方が提唱され、それぞれの処方に基づくアミノ酸輸液製剤が開発されました。
1965年には、Wretlindらによって大豆油を用いた脂肪乳剤が開発されました。こうして1960年代後半には、3大栄養素の輸液製剤がそろうこととなり、完全静脈栄養という概念が唱えられるようになったのです。
栄養輸液製剤の開発と並行し、1966~1968年には、Dudrickらによって高濃度ブドウ糖液をベースにした中心静脈栄養法(TPN)が開発されました。TPNは、消化管からの栄養補給が不能又は不十分な患者への栄養治療法として普及し、消化管手術後や重症疾患の治療成績を著しく向上させると共に、臨床栄養学の発展に多大な貢献をもたらしました。TPN療法に使用される高カロリー輸液製剤は、電解質と高濃度糖液をバッグに入れたTPN用基本液が定着し、複合糖質液の開発、アミノ酸・電解質組成の検討も活発に行われました。
近年では、肝不全に用いるアミノ酸輸液製剤、腎不全に用いるアミノ酸輸液製剤、高カロリー輸液用基本液も開発され、特殊病態時に用いる輸液の登場は、新たな輸液療法の可能性を示しています。
糖・電解質とアミノ酸、あるいは、脂肪・ブドウ糖とアミノ酸・電解質とを別々に充てんしたダブルバッグ製剤や、更にビタミンを別に充てんしたトリプルバッグ製剤も販売されるようになりました。これらの製剤は、「キット製品」と呼ばれており、臨床現場での調製作業が簡便となるばかりでなく、細菌汚染・異物混入の防止、投薬調製時の過誤の防止、救急使用時の迅速対応を可能とするなど、医療の質を高めることに貢献しています。